スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2014年03月19日

理の予約投稿でした

最近、ブログ感が随分と変わってきた言語治療
少し前の記事に書いた、「ブログ=本番へ備えての練習」。これに、やや、うっとりとしている。本番とはなんなのか? 小説? ふむ、正確には「これから書かれるであろう二十一世紀文学の金字塔」なのである。キャ、書いちゃったよ! この宇宙怪獣メガロ野郎っとお怒りになられる前に、先(まだ、書いてないけど)をお読み下さいね。

しかし、仮にである。それが書かれなかった。書いたけれど、金字塔ではなかった。途轍もない愚の骨頂であった。でも、構わないのです。「その予感に打ち震えている(一人で)」、ここが大切なのだ。一人、るんるんしながら、「金字塔金字塔・・・」と呟き、ブログ執筆に精を出す。練習練習ぅーーー。いやぁーーー、この浮き浮き感、ここがポイントなのですね。
ぶっちゃけ、その後の金字塔など、どうでもいいのである。あはははははmask house 面膜 好用

ブログ、詩集とか書籍化された小説なんかとは、随分と違う感じはある。
書き手と読み手の間に、出版社とか、そこの編集者とかが介入していない。直送である。これは、ある意味、非常に際どいし、プロとアマがボーダレス。もちろん、社会的にはプロ=文章でお金を稼いでいる人ということになるけれど、私は納得していないし、判断基準として下世話過ぎ。とはいえ、この論法上のプロ。もちろん、甘くはない。そんなことは分かっている。
あっ、すぅーーーかり失念。私は、有料ピアニストなのだったよ、げっ。下手だけど、そうすっと、プロってな訳かよ、ねぇー。いつもの例えで、じゃ、バン・ゴッホはアマだったの? という会話になる。私より上手い無賃金ピアニストがごまんといる。すっ、すいません。

小説を読まなくなって、随分と経つ。ひとつには、日本国、フランス語で言うところのロマンシィエール(小説家)の系譜が大多数を占めているせいもある。私は、エクリバン(作家)を読みたいので、段々と遠退いてしまった。言語実験、実験小説の流れも、大半は、詩人たちが引き継いだ。必ずしも、言葉の解体だ、意味の剥奪だと前衛的である必要はないけれど、前衛精神は必要だと思う。前進する、新しいものを自ら作る。仮に失敗作だとしても・・・。出来なんか悪くたって、文学の本質的な問題ではないと思っているmask house 面膜

そう言う意味で、ブログという媒体自体がゲリラ的で、たぶん、ブログ文学の創造は可能と推測している。私が、と言う意味ではないですよ。脳が枯渇枯れススキ状態だから、駄目ですな、それは・・・。

追記 この記事も日付をみたら、3月6日。真ん中辺は以前書いた内容だし、最後の方、昨日の記事と内容がダブっているけれど、全体の流れもあるので、そのままに致しました。ちょっと、ピアノの大きなゴトシ(仕事)が入り、脳がピアニッシモのフォルテェッシモなので、未発表「下書ノ山」より、無理矢理の予約投稿でした。
  


Posted by fridayne at 12:23Comments(0)0000

2014年03月14日

食事場所の清明さ

和食は、煮炊きなどの調理よりも、
まず素材の鮮度と、包丁さばきを優先する。

なまくら包丁を戒め、手入れを怠らせない。

季節の巡りや旬を活かし、素材を最も美味しい状態にして、食べる姻緣配對

食事場所の清明さ、
料理の盛り付けの美しさ、
食器や演出のセンスなど、

様々に込められた、もてなしの心を、食べ物と共に味わう。



   海に囲まれた島国で、
   四季や清水に恵まれた温帯ではあっても、

   人口に比して食糧は乏しく、
   太古から常に飢餓に脅かされながら、

   分け合い、捧げ合い、“和をもって尊し”としてきた、
   私たちの祖先如新集團



“もったいない”は、飢餓との果てなき戦いの産物。
育まれた知恵と、甲斐々々しさ、研ぎ澄まされた技術が、
世界中の、心ある人々に瞠目されたら、嬉しい香港如新。  


Posted by fridayne at 20:09Comments(0)01

2014年03月04日

ぼんやり輝く



小雪の舞う冬の午後に、おばあちゃんは死んだ。

お葬式のあと、おじいちゃんもおばあちゃんもいなくなった家の炬燵に入って、母さんとおばさんと従姉妹とわたしで、おばあちゃんのはなしをしていたら、白い、透きとおるほど真っ白い子供の手の平ぐらいの蝶々が現れた。

蝶々のまわりは、すこしだけぼんやり光っているように見えた。

おばあちゃんがいなくなって悲しくて、泣きすぎて、わたしの目が変になっていたからかもしれないけど、光って見えた。

「ばあちゃんだ」

母さんが言った。

おばさんも従姉妹もわたしも「うん」と言った。

蝶々は部屋中を飛び回ってから、おばあちゃんのこどもたちとおじいちゃんの位牌のある仏壇の前で消えた。


死んだらわたしも白い蝶々になれるだろうか。

透きとおるほどに白く、ぼんやり輝く、夢みたいに綺麗な蝶々に。

冬に死んだら、きっとなれるような気がする。

そうしたら、あのひとのところへ飛んでいこう。
  


Posted by fridayne at 15:13Comments(0)記事