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2015年11月11日

她應該算是典型的東北女孩吧

接到一個陌生客戶的電話,一聽能量水聲音就是東北人。在大家的印象中東北人直爽,有啥說啥。確實我的印象中也是這樣的。這個電話,讓我猛然想起一個女孩,比較可氣的是,我現在竟然想不起她的名字。好像叫王倩吧。和她的第一次接觸,我便挺吃驚的。

那是剛剛上大學的時候。我初來大城市,又本來內向,所以不大和人接觸。她是班長,很活躍,經常站在講臺上將通知之類的事情。所以我是知道她的。有一天晚自習下課,下著很大的雨。我沒有帶傘,我好像經常這樣。直到現在,我去任何地方,都沒有帶傘的習慣。即使天氣預報說有雨。

我站在樓道裏,看到別人離去。也準備走了。這時候她能量水出現在身後道:“沒帶傘吧。”我點點頭。她說:“那我們一起吧。”說著她打開了傘。我連忙說:“不用,不用。”她指著大雨道:“這麼大的雨,肯定會淋透的。我們一起,你先送我回宿舍。然後你拿我的傘回去。”我還想堅持。她已然將傘湊到我的頭頂上道:“趕緊走吧。大男人,這麼啰嗦。”說完,自己就先走了。我只能跟上。

雨真的很大,劈裏啪啦的打在傘上。夜色黑漆漆的。只有能量水在有路燈的地方,可以看見雨就像線串的珠子一樣在閃光。然而我的心思肯定不會在雨上。心咚咚的跳,畢竟在這之前,我從來沒有和一個陌生女孩走的這麼近。我儘量避開和她的身體碰觸。即使這樣,依然覺得能聽到她的呼吸。那是深秋,如果沒有記錯,是開學的一個月後。也就是10月份吧。雖然在西安,還是有些冷的。她比我低,吃力的將傘舉過我頭頂。
走了一會,她說:“你把傘舉著吧。男人應該主動舉的。”我依言從她手裏接過傘。很輕鬆的舉過頭頂。現在想想,
我確實很木訥,本來就應該是男孩舉傘的。可能是為了緩解我的緊張和尷尬。她一會說:“你走慢點。太快了。”一會問:”你家是哪的?” 我說:“陝北。”

她又問:“你平時就話不多?” 我說:“還可以吧。”事實上是不多的,加上普通話不標準,緊張時還口吃,所以在班上話不多。她又說:“你應該多和同學交流。大學生活,就應該活躍點。你可能聽出來了。我是東北的。”
我點點頭說:“我知道。”我又問:”東北哪的?“ 她說:”遼寧。“又是一陣沉默。她突然又開口道:”你怎麼都把傘給我打了。你肩膀都濕了。“ 我說:”沒事。“她自然的一只手搭在我的腰上,一只手挽在我舉傘的胳膊。說道:”這樣會好些。“
  


Posted by fridayne at 11:10Comments(0)記事

2014年03月04日

ぼんやり輝く



小雪の舞う冬の午後に、おばあちゃんは死んだ。

お葬式のあと、おじいちゃんもおばあちゃんもいなくなった家の炬燵に入って、母さんとおばさんと従姉妹とわたしで、おばあちゃんのはなしをしていたら、白い、透きとおるほど真っ白い子供の手の平ぐらいの蝶々が現れた。

蝶々のまわりは、すこしだけぼんやり光っているように見えた。

おばあちゃんがいなくなって悲しくて、泣きすぎて、わたしの目が変になっていたからかもしれないけど、光って見えた。

「ばあちゃんだ」

母さんが言った。

おばさんも従姉妹もわたしも「うん」と言った。

蝶々は部屋中を飛び回ってから、おばあちゃんのこどもたちとおじいちゃんの位牌のある仏壇の前で消えた。


死んだらわたしも白い蝶々になれるだろうか。

透きとおるほどに白く、ぼんやり輝く、夢みたいに綺麗な蝶々に。

冬に死んだら、きっとなれるような気がする。

そうしたら、あのひとのところへ飛んでいこう。
  


Posted by fridayne at 15:13Comments(0)記事

2014年02月25日

鮮やかな奇術は

マジシャンの初代・引田 天功(ひきた てんこう) 氏は、
「死のジェットコースター大脱出」など、1970年を前後して、
テレビスペシャルで数々の脱出イリュージョンを行なったりしていた。
大掛かりなセッティングで大脱出を行なうもので、
毎回かなりの話題を呼んだ如新集團

ところが、彼が常に意識して研鑽していたのは、
大掛かりなものではなく『シカゴの四つ玉』と呼ばれる奇術。
四つのボールを指の間から出したり消したりするもの。
これを所作の基本としていた。

鮮やかな奇術は、観客の目よりも手のワザが素早いとも言われるが、
素早いばかりでなく優雅でなければならないとして、
この奇術の研鑽を怠らなかったという。

奇術は、速い動きで欺くものが多い。
だけども、本当に欺いているのは目ではなく、観客の心理。
心の動きを読み、上手に欺いていくというところだろう。

こんな様子を語ったのか、エドガー・アラン・ポーの言葉に、
『人間は、詐欺をする動物であり康泰領隊、人間以外に詐欺をする動物はいない。
「人は悲しむために作られた」と詩人は言う。
そうではない、「人は、欺くために作られた」のだ。』

元ビートルズのジョン・レノンの言葉に
「俺たちは、みんなペテン師さ。
だけども、みんな騙(ダマ) されたがっているんだもん」
ファンは、彼らがスターであることを願い香港如新集團、そのスターである振る舞いに酔いしれる。

ビートルズファンも、奇術の観客も、ミステリーの読者も、
みんなみんな、期待している、

鮮やかなほど見事にダマしてくれることを、、。  


Posted by fridayne at 12:12Comments(0)記事

2014年01月22日

わたしの祖母は

わたしは、人の死にまともに直面したことがない。
人生の最も大事な局面、深刻な、影響を与えることに向き合ったことがない。
これは、ある意味、まったくシワのない、つるんつるんの脳をもっているのと同じかも知れない。

しかしながら、とりあえずは、肉親は亡くしている。
父方の祖母、父、母方の祖父、祖母。
この中で、祖父母は、わたしの年齢からみて、現在生きているとするとプリザーブド・フラワーの人間版で、
彼らは、とうの昔にnuskin、平均寿命を全うしてこの世を去った。
哀しいかといえば、90歳を軽く過ぎて枯れるように老衰で旅立った父方の祖母などは、
「おばあちゃん、おめでとう」という涙を流して喜んでくれる親戚さえいた。
悲痛な涙を流した人は、おそらく一人もいないのではないだろうか。

口数少なく働き者、優しい、穏やかな、芯の強い、明治の女性だった。
幼い頃、ずっと、忙しい母に代わって田舎でお世話になった。
この祖母には、晩年、一言だけ言われたことが印象に残る。

「選り好みせんと、ええかげんにしなさいよ」
これは、わたしが結婚適齢期の頃、わたしに相応しい相手に対してでも、なかなか首を縦に振らなかった時のこと。
自分の未熟さ故の行為であったと今は思う。
見てるとこは、見てるんやな~、おばあちゃん。


わたしの祖母は、大人しい控えめな性質であったが、夫の祖母は、凛とした理知的な人だった。
嫁いで、はじめてお目にかかったとき、
「ここをあなたの永遠の家だと思ったらいいんですよ。なんの遠慮もいりませんからね」と言われた。
こころ優しい、思いやりが綴られたお手紙も頂戴した。
それは、今も大事にとってある。

わたしの父方の祖母と、夫の祖母は、年齢的には一回りほど違い、わたしの祖母の方が年上である。
夫の祖母に、ご挨拶のようなものを言われたとき、わたしは「言葉って、すごいなあ」と思った。
明確に言葉にすると、気持ちや、考えが、はっきり伝わる。
まして、書いたものは、もっと明確に伝わる。

日頃、やたら口数の多い人もさることながら、めったに話さない人の一言というのも、効く。
わたしなど、考えずにしゃべっているので、
「で、なにが言いたいの? オチは、ないん?」などと娘に言われてしまう。

「オチは、話、ぜんぶやん!全体の流れで、最後のところあたりやん!」と、あきらかに苦しい言い訳をする。

・・・

死に面したことがない、という話から、テーマが「言葉」に移り変わっている。
すぐに脱線する。

・・・

で、わたしは死に面したことがないわけではなく、父も義父も、義祖母もあの世に行った。
何度も言うようだが、皆、平均寿命を全うしている。
さすがに、全員、老衰というわけにはいかなかったが。
もし、母や義母が牛欄牌回收、この先、この世にいなくなったとしても、これまた、今で、すでにもう平均寿命は過ぎているのでは?

だが、彼女たちには生きてもらわないと、困る。
二人とも、重要な役割がある。
用のないお年寄りというわけには、いかない。
さすがに、寄る年波には勝てず、現役ばりばりの頃のようにはいかないが、要となる案件をいくつも抱えている。
世の中のヒマな、お迎えを待つばかりのお年寄りとは、ちょっと違う。
彼女たちは「はやく、引退させて欲しい」と嘆いてみせるが、ちょっとやそっとじゃ、引退しない。
が、明らかに、年齢的な衰えは避けて通れないようである。

・・・

わたしは、死に別れるといっても、さほど哀しい目に遭っていないので、人間としての究極の苦痛の経験がない。
人の痛みもわからないのだろう。
壮絶な人生とは、対極の人生だろう。
それはそれで、深く感謝しなければならない。


エネルギーというものは、負であっても、正であっても、溜まるものである。

わたしの場合、正のエネルギーが溜まっているはずだ。
(サボっていて、あまりエネルギーを放出しないせいもある)
が、不思議なことに、知らない間に、放置された電池のように、放電してしまっている。
溜まるのは、負のエネルギーか?
なぜだろう?
性格か?

日頃、生活するにあたって、正のエネルギーを無意識に使っているようだ。
仕事や、家事、いろんな義務、・・・
なので、無意識に正のエネルギーは、いつも残量が少ない。
でも、負のエネルギーは、自然に減ることがないので、溜まる一方。
特に努力もしないのに、チャージされっぱなし。
もし、努力するとすると、無理やり減らそうとしないと、減らないかも知れない。

で、負のエネルギーが爆発しそうになるぐらい溜まると・・・
ポイントの有効期限が来る直前に、ポイントを商品と交換して使ってしまうかのごとく。
わたしの場合は、正のエネルギーに変換して組み入れているのかも知れない。
負のエネルギーをせっせせっせと、日常使いしてしまっているのだろう。
だから、負の感情やストレスが溜まらない。
正のエネルギーが、溜まっているようなかんじ。
正のエネルギーの出口が小さいからnuskin 如新
「究極の無駄な使い方」を追究したりして、無駄に消費しているのかも知れない。


すごく大きな負があり、特異な性質の負である場合、正に変換できないこともある。
すると、変換されずに、ずっと溜まったまんまになり、ずしっと重いことだろう。
小まめに負から正に変換する方法を、各自、習得していると思う。
それが備わってない、できない場合、溜まりに溜まって、たいへんなことになる。

・・・

と、またまた、テーマがズレまくり。

で・・・、オチは?
ないやん!と言われそうだ。

永遠にオチなどないのだ。
開き直ることが、オチか? (情けない・・・)

本日は、まとめることもできす、
書き散らしたあと、片付けることもせず、
弱弱しい背中を見せて、とぼとぼ退散いたします。  


Posted by fridayne at 18:29Comments(0)記事

2014年01月15日

同じお正月を

今年は、土曜日曜の関係もあり、長いお休みをいただきました。
東京から娘家族が来て滞在したり、母を訪ねたり、息子が来たり、毎年のお正月と同じく過ごせました。

昨年と同じように過ごせるお正月って、本当に感謝です。

自分が60歳まで生きているって約會技巧、三無主義と言われた年代の私にとって、不思議な感覚です。
三無主義って、今の「ゆとり世代」と言われるのと同じくらい、少しダメという感じの世代なんです。
無気力・無関心・無責任で、何もやる気の無い世代だったわけです。
1970年代によく使われた言葉ですが、まさにその通りの私でした。

三無だけではなく、感謝も無し、感動も無し、そんな10代20代の自分を今、ときどき思い出します。

昨年のそんな人達の同窓会でしたが婚戀網站、意外なことに、みんな校長先生になっていたり、お医者さんになっていたり、責任ある立場で頑張っているんです。
時が人を育てるのでしょうか。

同じお正月を、あと何回過ごせるか?!
いつ、何があっても不思議じゃないこのごろのご時世です。
大雨、大風、地震、事故、病気、いつでも「普通」の生活を壊してくれます。
普通に過ごせることを、心から喜んで過ごしたいです
三無主義の代表の年代の私の言葉とは思えないですね牛欄牌問題奶粉

お正月休みの最後の昨日、娘夫婦や孫とイタリアンレストランへ行きました。
初めてのお正月をパパの実家で過ごし、昨日は奈良でレストランだったのです。  


Posted by fridayne at 18:45Comments(0)記事

2014年01月08日

ところで今年は午年

先月の中旬より咳、痰、鼻水の症状が出て治らず、病院で診てもらったものの、それでも良くならず、年を越え治ったのがちょうど正月明けの4日です。今でも痰が絡まり声が擦れ、そんな状況でも先週末より机に向かっています中年交友。昨日も朝早く起きて書こうとしたのですが、様々な用事が入り込み書かず仕舞い。そして1月6日の午後9時を廻ったところです。

最近、忙しくてヤフーブログの機能に無関心でしたが、ブログを始めた頃は興味津々でした。ところが年末に投稿する時に見ると時間指定が出来るようになっていました。これは便利だと思って元旦の投稿時間を午前零時にセットしたところ、朝遅く起きてから画面を見ると何とセットした時刻に投稿されていました。そして3日も同じように午前零時にセットすると、遅く起きて画面を見るとセットした時刻に記事が載っていました。皆さん、この機能知っていましたか。

ところで今年は午年。馬でなく午なのです。「ご」とも読みます。少し気になり調べると、普段使う「馬」とは象形文字で馬のたてがみと足を示しているそうです。ここまでなら何とか分かりますが、一方、「午」は干支からきていると言います。元々、干支は、中国の殷(いん)の時代に人々は木星を尊い星としたそうで、その動きを詳しく観察しました失眠 中醫。その結果、木星は太陽を約12年掛けて一周することがわかり、その位置を示すため空を12の部分に分けたそうです。そこに名前をつけたのが十二支(じゅうにし)の始まりと言われているそうです。もっと詳しく調べると頭が混乱しますので、これでこの話題は止めます。でも外国人に日本を知ってもらうには、こう言った知識も必要ではないでしょうか。

今、英語ブームだそうです。特に若い人の中にも英語を使って話す人が増えています。ただ残念ながら英語で話せても日本の事になると全く話せないと言うのか知識がない人がいます。会話が続かないそうです。残念ながら私の廻りにもいました。「和食」や「おもてなし」は世界的にも有名な言葉になりました。でも「和食」や「おもてなし」の本当の意味を知っている人は少ないと思います。以前、ある新聞の投稿欄にも英語を話せても、英語で日本の文化や伝統について話せない人が増えているという記事が有りました。私もそう思いました。それは英語と平行して学ばなければなりません。それは少し厳しいかもしれませんが、そうでないと世界に通用しません。

そんな訳で私の廻りにも外国人がいっぱいいます。話す時は日本語と地元の方言。日本に来たら日本語で話せと、何時も心の中で思っています。国際人にならなくても生粋な日本人でいたいと思います香港中醫治療。だから私と話す外国人は、時々、頭が混乱するそうです。ゆっくり話せと目で指図します。それでも日本語でまくしたてています。  


Posted by fridayne at 13:23Comments(0)記事

2013年12月17日

高くない利息を払っていれば

質屋に持参したスイス製の腕時計は、意外にも高く評価され、
アルバイト1週間分の給料ほどの金が借りられた。

「すき焼きが食いたい」
僕の声を受けて、二人はその足で街へ向かい、食材を買い揃えた。
金がないのに贅沢な気分を味わいたいのは螢幕保護膜、なぜなのだろう。

深夜。
あたりの2部屋が寝静まった頃、ガスコンロを無断借用してひそかに料理が開始された。
鍋や食器、ろくなものはなかったが「無駄な出費はやめよう」とトオルくんは言い、
鉄鍋の代わりに、小さな手鍋とブリキの洗面器が代用された。

故郷を出てから口にしていなかったすき焼きの味は、感動的にうまかった。
二人の顔がほころんだ。

「バイトの給料が出たら、あの時計を出しに行くんだからネ」
「わかってる。オレも半分出すって曾璧山中學。利息を払えば質草は流れないんだ」
一足早く社会に出たトオルくんの知識はさすがだと思った。

高くない利息を払っていれば、質草はずっと保管してくれると知った僕は、
アルバイトの給料後も、スイス製の腕時計を受け出しには行くことはなく、
当面は利息を払うだけで、「いつかはきっと」とその時期を引き延ばした。

そうしているうちにアルバイトも辞め、利息が払えなくなって、質草は流れた。

それからしばらく、僕は暇さえあれば、
質屋のショーケースに飾られた自分の腕時計を眺めては、
「まだ売れていない」と胸をなでおろしたりした。

だが、とうとうその時計がショーケースから消えていることを確認する日がきた。
苦い思いが胸にひろがり曾壁山中学
無愛想に僕に時計を差し出したときの、父の顔が浮かんだ。  


Posted by fridayne at 15:09Comments(0)記事